追悼【猪木vs国際軍団】猪木が最悪なコンディションのラッシャー木村に配慮したこととは?       #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木

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1982年11月4日、新日本プロレスの蔵前国技館大会のメインイベントのアントニオ猪木vsはぐれ国際軍団、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の、1対3の変則タッグマッチ。 今でも、その変則タッグマッチ形式のインパクトとともに、振り返られることの多い同試合だが、実は当日の開始ゴング寸前まで、この試合方式は決まっていなかった。 この「1対3」放送時の『ワールドプロレスリング』のオープニングは、背後が客でゴッタ返す蔵前国技館のロビーに立つ、古舘アナによるMC。 「こちらは日本のMSGと言われる東京・蔵前国技館です。アントニオ猪木vs国際軍団の変則マッチが組まれております。この変則マッチはですね、猪木が1対3で戦うのか? それとも一人ずつ戦って3回戦うのか? このルールを巡りまして国際側と新日本プロレスサイド、 いまだに、その話し合いが難航している最中です」。 このように、試合形式は、当日の夜になっても決まっていなかった。 有力視されていたのが、シングル3連戦。猪木が、まず寺西と30分一本勝負、次に、浜口と45分一本勝負、最後に木村と60分一本勝負を行うというもの。 そして、もうひとつの試合形式は、猪木が三人を同時に相手にする、1対3の変則タッグマッチ。しかし、この変則タッグマッチも、当初は、猪木は三人全員から勝利しなければならず、一方の国際軍団も、猪木から3回、勝利しなければならないという、ある意味、フェアな設定であった。 そして、試合は結局、1対3の変則タッグマッチになったものの、猪木は三人から勝利しなければならないが、国際軍は、猪木から1本だけ取ればいい。という猪木に不利なルールに変更となった。これを最終的に決めたのは、猪木だった。自らが不利なルールに変更したのはなぜだったのか。 #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木

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