豪華な伽藍だったことが発掘調査で判明した山田寺跡 奈良・桜井市

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6年前

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飛鳥時代の幹線道「山田道」とされる道を、明日香村から桜井市方面に向かうと山田寺跡(特別史跡)の案内板が目に入る。  山田寺は蘇我氏の一族の蘇我倉山田石川麻呂が641年に創建したが、649年に中大兄皇子(後の天智天皇)から謀反の疑いをかけられ、造営中の寺で自害した。  その後、建設が再開し、7世紀末に伽藍が完成する。金堂や塔が並び、周囲を回廊が囲む豪華な伽藍だったと考えられている。  今はサッカー場ぐらいの広場に、塔や金堂の基壇や礎石が復元されている。案内してくれた奈良文化財研究所飛鳥資料館の西田紀子さんによると、平安時代にも寺は存在し、1023年に藤原道長が訪れたという。「堂内の豪華さに驚き、『奇偉荘厳(きいしょうごん)』とたたえたという文献が残っています」  西田さんと最初に東回廊に向かった。山田寺跡を全国的に有名にしたのは、1982年の東回廊の出土だ。奈良文化財研究所の発掘調査で、東側の回廊の建物全体が、屋根瓦もろとも倒れた状態で見つかった。11世紀に土砂崩れで倒壊したとみられ、瓦の下で、連子窓や壁、柱がほぼ完全な姿を保っていた。現在は基壇と礎石の一部が復元されている。

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